「都心のワーママ」像をお手本にしてたら、やりたいことがわからなくなってた、という話。
移住なんて選択肢は、ずっと持ってなかった。
「東京で、今の仕事でキャリアアップしていく。仕事はやりがいがあり、子育てにも理解があって働きやすい。給与はもっと欲しいけど…そこは、自身の成長により今後目指そう。子どもたちにも働く母の背中を見せて、なるべく高い水準の教育を受けさせて育てたい。そのために、多少の住みづらさには我慢しよう…」
ずっとそう思っていた。
その考えに、ちょっとした疑問が沸いたのは、夫との何気ない会話がきっかけだった。
当時夫は小さな副業の準備をしていた。ちょっと夢を見て、半分冗談で、「もしもこの仕事が大当たりして、今の給料以上のお金が毎月毎月入ってくるようになったら、どうする??」などと話していた。
その場では、「まぁ仕事は続けるでしょ?好きな仕事だし」と答えたものの、自分の言った言葉がなぜかしっくりこなく、その日一日、「仮にお金があったとしても、本当にこの仕事を続けるのか」考えつづける羽目になった。それまでずっと、仕事のことを「お金に代えられない価値あるもの」と思っていたので、そんな自分に驚きだった。
それまでのキャリアを活かせて、子育てにも理解がある、願ったり叶ったりの職場だった。でも、当たり前だけど、昼間の時間の大半を都心のオフィスのデスクに捧げることになる。子どもとの時間は当然減るし、少しでも通勤時間を短くするため、都心の狭い家に住まざるを得ない。
「1時間早く迎えにいけるよ」と言っただけで、大喜びする子どもたち。反対に、休日出勤の予定を告げると、この世の終わりのような顔をする子どもたち。戸建ての実家に連れていくと「この家は走り回ってもいいんでしょ!?」と何回も聞いて、のびのび動きまわる子どもたち。
子どもに少なからずの負担を強いながら、それでも尚、この仕事は手放せないのか。
「仕事があるから」都心に住んでいる。「仕事があるから」東京にいなくちゃならない。「仕事があるから」保育園に入れるエリアにしか住めない。
「仕事のために」この本を読まなくてはならない。「仕事のために」このスキルを身に着けなくてはいけない。
では本当に、自分は「その仕事」でなければならないのか?もしお金の心配がなくても、「その仕事」をつづけるほどの何かを、「その仕事」に感じているのか。
答えはノーだった。
自分が「本当にやりたいこと」が分からなくなっていた
いつの間にやら、「東京で働きながら子どもを育てること」それ自体を、人生の目的だと思うようになっていた。他の選択肢なんて考えたことなかった。
でもひとたび、「お金」という制約を外してみたら、自分の本当にやりたいことがわからなくなった。
子どもにいい教育を受けさせたい!…それってここじゃなきゃできないこと?
やりがいのある仕事をしたい!…それって今の「職場」じゃなきゃダメ?
家族との時間を笑って過ごしたい!…じゃあなぜ、東京で神経すり減らしてるの?
…先のことは分からないけど、今やりたいことは、もっと自然に近いところでペースダウンして、家族との時間を大事にすること、だった。
だって、ずっと自分でも言っていた。
「本当はもっと、広くて自然が多いとこで、子育てしたいんだよね」
それって、やるなら今しかないって、やっと気づいたのた。
そう思ってはじめて、移住、という選択肢が頭に浮かんだのだった。
一度、時間やお金の制約を無視して、「本当にやりたいこと」について考えると、思いのほか出てこなくてびっくりする。絞り出した答えをじっと見て、実現するための道筋を考えると、案外難しいものでもないことに気づく。あとは、やるだけ。
「やりたい」という気持ちは生ものだから、早く消費しないと腐ってしまう。やりたかったことのなれの果てを抱えて歳だけ取るのは、絶対にイヤだ。